現実逃避闘争日記。
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どうも、明希です。
1限に来たのに 休講になりました。
埼京線と山手線のせいかしら…
理大祭まで あと2週間切りました。
先日、たまたまFrozen Timeっていう企画みたいなモノを見ました。
あのストップ技術すげぇ
14日に新宿でやるんだって
理大祭の役者には是非とも参加か野次馬かしていただきたい。
けど、稽古なんですよねー…
考えます。←
本当にあれはスゴいから。
あれくらいのストップをしてもらいたいです。
無茶なのはわかってるけど!
波野平さんが先月末に冬の話をした時以来、ずっと考えてることがあります。
「なんのために理大祭公演を打つのか」
個人的な内側のレベルで言えば、普段から疑問に思っていることを その公演に関わった方々に考えてもらいたいから。
だからこそ、みんなにたくさん考えてもらおうと思って、抽象芝居の形をとってるんですけどね。
ココで言いたいのは、そんな小さな事じゃなくて もうちょっと大きな事。
ものすごく簡潔に表現するなら
「たくさんの人に演劇をちゃんと知ってもらいたい」
“ちゃんと知ってもらう”って何だよ、って思うと思いますけど…。
そもそも“演劇”ってモノ事態が あまり世間に認知されていないような気がしてます。
舞台は観に行かない
演劇とか恥ずかしい
映画とかドラマのが面白い
芸能人の舞台は行くけど、友達・知り合いが出てるのはちょっと…
とかとか。
理由は人それぞれだと思うけど、ここに挙げたのも間違っては無いと思う。
なんでだろう
演奏会とかコンサートとか、生身の人間が、すぐそこの舞台上から訴えかけて来るのは演劇と一緒だって。
知り合いが舞台上で演奏してるのは大丈夫で、演技してるのはダメなんですか?
表現媒体が違うだけじゃん。
って 思ってしまうのです。
かつて音楽で表現していた身としては、表現媒体が楽器から自分自身の体になっただけで、表現者的にはそんなに違いはないんじゃないかって思います。
言葉とか体とか表情とかのほうが、音楽なんかよりももっとストレートだし、強いし、なんのフィルターもなく訴えかけられるんだけどね、観客に。
その分、その重さに耐えられないのかもしれないけど。
音楽を聴いて、演奏者を見て、「あ、いい曲だな。演奏してる人の顔、真剣だな。がんばってるな」って客観的に思うのはそりゃそうなんだけど。
舞台を観て、役者の顔を見て、何を思うかって、自分とリンクする部分を見てしまうんですよ。
主観的になっちゃうんです。「分析しよう」「アラ探してやろう」とか思ってない限りはおそらく…。
映画とか、ドラマとかで泣くのはそのためです。
自分の感情と、何かリンクすることがあって、心が動かされて、それで発散させたくて涙が出るんです。
ほら、主観的。
舞台を観た後ってすごい疲れる。
役者たちの感情の渦に呑まれそうになって、劇場から逃げ出したくなる衝動にかれれる時もある。
けど、終演後に役者が出口あたりで、素になって「ありがとうございました」って言ってるのを見ると、なんかちょっと安心したりします。
大きな劇場になるとそんなことしてないけどね。
学祭公演って、顧客を増やすいい機会だと思う。
別に、売上的なものを増やしたいわけじゃないです。あたしは。
演劇っていうものをもうちょっと身近に感じてもらいたいだけなんです。
演劇がすでに比較的身近にある人には「こういうカタチもあるんだな」って思ってもらいたいだけなんです。
「演劇なんて…やだよね、なんか恥ずかしいし」 って思ってる人が、もし、学祭に来て、公演をみて、「ちょっと面白いかも、いいね、演劇って」って思ってもらえたら、あたし的には万々歳なんです。
そのためには、それなりのクォリティーが必要なんですけどね…(苦笑
だから、ガチでやるんです。
温い稽古はしたくないんです。時間もないし。
ラムトキだから、いろんな考え方の人がいる。
でも、一丸となれば、お客さんの心に何か残せるんだよって。
稽古時間が少なくても、参加者が少なくても、それはイイものをつくれない理由になんかならないと思う。
ゲネが出来るかどうかわかんないけど。
1st≒ゲネ っていう完成度にはしたくないです。
ゲネが出来ないことを、1stの完成度が低い言い訳にはしたくないです。
ゲネが出来なくても、空間把握とか、場当たりとか、衣装で稽古とか、しっかりしてれば、多少はどうにかなるんじゃないかと思ってます。
自惚れですかね。
けど、信じてます。役者もスタッフも。
当日手伝ってくれる参加者以外の同期も、後輩も、先輩も。
信じてればどうにかなるって問題じゃないのはわかってるけど、でも、信じてなかったら出来ないでしょ。
芝居なんて。
人が人とぶつかり合ってつくってくもんなんだから。
投げっぱなしもダメだし、雁字搦めにするのもダメだと思う。
ある程度の枠の中でなら、自由にやっていい。そういうもんじゃないですか?
制約の中で、どれだけのものを表現するか。
限られた時間の中で、どれだけ濃い稽古が出来るか。
これって永遠の課題なような気がします。
難しいんだよね。演劇って。
みんな生身の人間だから。
モノとかを使ってフィルターかけられないから。
演出してても、正直しんどい時があります。
いろんな角度からぶつかられて、逃げたくなる時もあります。
たくみには生気を吸い取られました。(笑
でも、絶対に逃げないから。
逃げたら何も出来ないから。
だから、今日含めてあと5回……
濃すぎるんじゃないかってくらい濃い稽古をしたいです。
1限に来たのに 休講になりました。
埼京線と山手線のせいかしら…
理大祭まで あと2週間切りました。
先日、たまたまFrozen Timeっていう企画みたいなモノを見ました。
あのストップ技術すげぇ
14日に新宿でやるんだって
理大祭の役者には是非とも参加か野次馬かしていただきたい。
けど、稽古なんですよねー…
考えます。←
本当にあれはスゴいから。
あれくらいのストップをしてもらいたいです。
無茶なのはわかってるけど!
波野平さんが先月末に冬の話をした時以来、ずっと考えてることがあります。
「なんのために理大祭公演を打つのか」
個人的な内側のレベルで言えば、普段から疑問に思っていることを その公演に関わった方々に考えてもらいたいから。
だからこそ、みんなにたくさん考えてもらおうと思って、抽象芝居の形をとってるんですけどね。
ココで言いたいのは、そんな小さな事じゃなくて もうちょっと大きな事。
ものすごく簡潔に表現するなら
「たくさんの人に演劇をちゃんと知ってもらいたい」
“ちゃんと知ってもらう”って何だよ、って思うと思いますけど…。
そもそも“演劇”ってモノ事態が あまり世間に認知されていないような気がしてます。
舞台は観に行かない
演劇とか恥ずかしい
映画とかドラマのが面白い
芸能人の舞台は行くけど、友達・知り合いが出てるのはちょっと…
とかとか。
理由は人それぞれだと思うけど、ここに挙げたのも間違っては無いと思う。
なんでだろう
演奏会とかコンサートとか、生身の人間が、すぐそこの舞台上から訴えかけて来るのは演劇と一緒だって。
知り合いが舞台上で演奏してるのは大丈夫で、演技してるのはダメなんですか?
表現媒体が違うだけじゃん。
って 思ってしまうのです。
かつて音楽で表現していた身としては、表現媒体が楽器から自分自身の体になっただけで、表現者的にはそんなに違いはないんじゃないかって思います。
言葉とか体とか表情とかのほうが、音楽なんかよりももっとストレートだし、強いし、なんのフィルターもなく訴えかけられるんだけどね、観客に。
その分、その重さに耐えられないのかもしれないけど。
音楽を聴いて、演奏者を見て、「あ、いい曲だな。演奏してる人の顔、真剣だな。がんばってるな」って客観的に思うのはそりゃそうなんだけど。
舞台を観て、役者の顔を見て、何を思うかって、自分とリンクする部分を見てしまうんですよ。
主観的になっちゃうんです。「分析しよう」「アラ探してやろう」とか思ってない限りはおそらく…。
映画とか、ドラマとかで泣くのはそのためです。
自分の感情と、何かリンクすることがあって、心が動かされて、それで発散させたくて涙が出るんです。
ほら、主観的。
舞台を観た後ってすごい疲れる。
役者たちの感情の渦に呑まれそうになって、劇場から逃げ出したくなる衝動にかれれる時もある。
けど、終演後に役者が出口あたりで、素になって「ありがとうございました」って言ってるのを見ると、なんかちょっと安心したりします。
大きな劇場になるとそんなことしてないけどね。
学祭公演って、顧客を増やすいい機会だと思う。
別に、売上的なものを増やしたいわけじゃないです。あたしは。
演劇っていうものをもうちょっと身近に感じてもらいたいだけなんです。
演劇がすでに比較的身近にある人には「こういうカタチもあるんだな」って思ってもらいたいだけなんです。
「演劇なんて…やだよね、なんか恥ずかしいし」 って思ってる人が、もし、学祭に来て、公演をみて、「ちょっと面白いかも、いいね、演劇って」って思ってもらえたら、あたし的には万々歳なんです。
そのためには、それなりのクォリティーが必要なんですけどね…(苦笑
だから、ガチでやるんです。
温い稽古はしたくないんです。時間もないし。
ラムトキだから、いろんな考え方の人がいる。
でも、一丸となれば、お客さんの心に何か残せるんだよって。
稽古時間が少なくても、参加者が少なくても、それはイイものをつくれない理由になんかならないと思う。
ゲネが出来るかどうかわかんないけど。
1st≒ゲネ っていう完成度にはしたくないです。
ゲネが出来ないことを、1stの完成度が低い言い訳にはしたくないです。
ゲネが出来なくても、空間把握とか、場当たりとか、衣装で稽古とか、しっかりしてれば、多少はどうにかなるんじゃないかと思ってます。
自惚れですかね。
けど、信じてます。役者もスタッフも。
当日手伝ってくれる参加者以外の同期も、後輩も、先輩も。
信じてればどうにかなるって問題じゃないのはわかってるけど、でも、信じてなかったら出来ないでしょ。
芝居なんて。
人が人とぶつかり合ってつくってくもんなんだから。
投げっぱなしもダメだし、雁字搦めにするのもダメだと思う。
ある程度の枠の中でなら、自由にやっていい。そういうもんじゃないですか?
制約の中で、どれだけのものを表現するか。
限られた時間の中で、どれだけ濃い稽古が出来るか。
これって永遠の課題なような気がします。
難しいんだよね。演劇って。
みんな生身の人間だから。
モノとかを使ってフィルターかけられないから。
演出してても、正直しんどい時があります。
いろんな角度からぶつかられて、逃げたくなる時もあります。
たくみには生気を吸い取られました。(笑
でも、絶対に逃げないから。
逃げたら何も出来ないから。
だから、今日含めてあと5回……
濃すぎるんじゃないかってくらい濃い稽古をしたいです。
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